「今度こそ続けよう」
そう思って始めたのに、気づいたらやめている。
資格の勉強、運動、ブログ、趣味。
始めるときはちゃんと「やるぞ」と思っている。
なのに、しばらくするとやっていない。
また続かなかった。
昔はこれを何度も繰り返していた。
そうなると、
「僕って続かない人間なんだろうな」
と思う。
意志が弱い。
飽きっぽい。
根性がない。
たぶん、そんな感じで自分の性格のせいにしていた。
でも、よく考えるとちょっと変だった。
資格の勉強は1日しか続かなかった。
なのにブログは何年も続いている。
将棋も毎日やっているわけじゃないのに、なんとなくずっと続いている。
会社の仕事も、別に「やりたくて仕方ない」というものではないのに続いている。
逆に、自分からやろうと思ったことなのに、続かなくて自己嫌悪がすごいことになったこともある。
あれ?
「続かない性格」だけでは説明できなくないか?
そう思って、自分が続かなかったものと、続いたものを並べてみた。
そのうえで、
「じゃあ、心理学ではどう考えるんだ?」
と調べてみた。
自分の行動を心理学に当てはめてみたら、何か見えてくるかもしれない。
僕は「続かない原因」を自分のせいにしていた
まずは、昔の自分が「続かない」という結果をどう受け止めていたのかを振り返ってみる。
当時は、続かないことに「自分の意志、弱すぎて終わってんな」と、心の底から心の上までザバーっと満たされるくらいの絶望を感じていた。
でも、続いたものと続かなかったものを並べてみると、どうもそれだけでは説明できなかった。
また続かなかった。最初に疑ったのは自分だった
昔、資格の勉強をしようと思ったことがある。
国家資格だし、取れば稼げそう。
たぶん、理由はそのくらいだった。
参考書を買うところまでは異常に速かった。
「よし、やるぞ」と思ったら、買うところまでは一瞬だった。
問題はそのあと。
家に帰って参考書を開く。
ちょっと眺める。
……全然おもしろくない。
「うわ、これおもんな……」
という感じだった。
結局、1日で終わった。
今振り返ると、そもそも資格勉強がやりたかったわけじゃない。
国家資格だから。
稼げそうだから。
そんな感じで、なんとなく決めていた。
参考書を買うまでは「やるぞ」と思えていたのに、ページを開いた瞬間に止まった。
これを全部、
「意志が弱かったから」
で片付けていいのかなと思う。
でも、続かないものと続くものがあった
ブログもかなり分かりやすい。
これまでに5サイトくらい立ち上げた。
長く続いたのは2つ。
残り3つは数か月くらいで終わった。
「全部続かなかった」わけじゃない。
ちゃんと続いているものもある。
じゃあ何が違ったのか。
続かなかったブログは、そもそも自分が全然興味のないジャンルだった。
当時は今ほど情報が多くなかったから、
「ブログで稼ぐならこのジャンル!」
みたいなものを見て、あまり興味がなくても選んでいた。
そりゃ書いていてもおもしろくない。
さらに、ブログの装飾なんかで分からないことが出てくる。
ここでも止まった。
「ちゃんとやらなきゃ」
「分からないまま進めるのは嫌だ」
となって、完璧主義が出てくる。
一つ分からないことがある。
↓
この先にも分からないことがありそう。
↓
なんか全部難しそう。
↓
面倒になる。
↓
止まる。
今考えると、こんな感じだったんじゃないかと思う。
昔は「分からないこと」を、その部分だけで見るのが苦手だった。
一つの分からないことが、その先全部の難しさに見えていた。
「じゃあ、何が違うんだ?」と思って自分の行動を見始めた
逆に、続いたものを並べてみた。
野球。
将棋。
ブログ。
料理。
筋トレ。
分析系のゲーム。
ビジネスの知識集め。
普通にいろいろある。
しかも、全部が大好きというわけでもない。
筋トレなんて、昔は楽しいからやっていたわけじゃない。
子どものころから運動していた流れで、社会人1年目くらいまではなんとなく続いていた。
やるのが当たり前だった。
料理も、作ること自体は普通。
好きなものを食べるのは好きだけど、後片付けは嫌い。
それでも続いていた。
やっぱり「続かない人間」という一言では変だ。
むしろ、
続くものもあれば、続かないものもある。
こっちの方が実際の自分には合っている。
「続かない」を心理学の知見と照らし合わせてみた
ここまで来ると、
「じゃあ何が違うんだ?」
が気になってくる。
そこで心理学の研究を調べた。
最初は、何か一つの原因が見つかるのかなと思っていた。
「あなたが続かないのは○○だからです」
みたいなやつ。
でも、そんなに簡単ではなかった。
「これ、ちょっと分かるな」
というものもある。
「いや、これは違う気がする」
というものもある。
よく分からないものもある。
そのくらいだった。
でも、それが今回やってみて面白かった。
①「今からやるぞ」と意識するかどうかが結構大きかった
過去を振り返っていて、一番気になったのがこれだった。
ブログを書いたり、将棋をやったり、ゲームをやったりするときは、
「今からやるぞ!」
とあまり意識していない。
なんとなく始めている。
気づいたらやっている。
一方で、資格の勉強や、一部の面倒なブログ作業は違った。
「よし、今からやるか」
とスイッチを入れないと始まりにくい。
筋トレも、昔はなんとなく続いていたけど、今の自分がやろうと思うと、資格の勉強や面倒な作業ぽさがある。
歯磨きとか洗濯とかに近いのかもしれない。
やった方がいいのは分かっている。
でも、今からやるぞ、と一回意識しないと始まらない。
そこで、実際に心理学ではどう考えられているのか調べてみた。
その中で出てきたのが、自己決定理論だった。
自己決定理論では、人の動機づけを単純に「やる気がある・ない」だけで分けるのではなく、自分で選んでいる感覚に近いものから、外からの圧力に近いものまで、いくつかの段階として捉える考え方がある。
ざっくり言えば、
自己決定理論では、「自分で選んでいる感じ」に関わる自律性、「できるようになっている感じ」に関わる有能感、「人とのつながり」に関わる関係性なども扱われている。
今回の僕が特に気になったのは、その中でも「なぜそれをやるのか」という動機づけの自律性の部分だった。
これを自分に当てはめると、将棋とかゲームは結構分かりやすい。
自分でやりたいから始める。
考える。
やってみる。
結果が出る。
またやる。
資格は、
「国家資格だから」
「稼げそうだから」
くらいだった。
自分からやりたいと思っていた感じは、かなり違う。
なので、「自分で選んでいる感じ」が関係していた可能性はありそうだ。
この考え方を、実際の研究ではどう見ているのかも調べてみた。
2017年のメタ分析では、486のサンプル、20万人を超える参加者を対象に、自己決定の程度に応じて動機づけが連続的に並ぶという考え方が検討されている。研究では、動機づけを単純に「ある・ない」で分けるのではなく、自分で選んでいる感覚に近いものから、外からの圧力に近いものまで、いくつかの段階として捉えている。
これを見て、「やる気があるかないか」だけで考えるより、「なんでこれをやっているんだ?」まで見たほうがいいんだなと思った。
僕の場合も、将棋やゲームは「自分がやりたいから」という感覚がかなり強い。
資格は、「国家資格だから」「稼げそうだから」という理由だった。
この違いは、少なくとも自分の経験を考える材料にはなりそうだ。
Howard, J. L., Gagné, M., & Bureau, J. S. (2017). Testing a continuum structure of self-determined motivation: A meta-analysis. Psychological Bulletin, 143(12), 1346–1377.
ただ、これだけでは説明できない。
会社の仕事があるからだ。
②「やろうと思った」と「実際にやる」は別だった
「明日から資格勉強をする」
「今日はブログをやる」
こう思うこと自体はできる。
でも、そのまま行動するとは限らない。
資格のときもそうだった。
参考書を買った。
↓
やろうと思った。
↓
参考書を開いた。
↓
おもしろくない。
↓
止まった。
「やる気がなかった」とだけ言うと、ちょっと違う。
最初はちゃんと「やるぞ」と思っていた。
でも、実際に参考書を開いてみたら、そこで一気に気持ちが重くなった。
「やろうと思う」ことと、「実際に作業する」ことは、同じではなかった。
③なんとなく続くものには、なんとなく続く理由があるのかもしれない
将棋を続けてきた自分の経験を振り返ると、毎回「よし、続けるぞ」と頑張っていたわけではなかった。
将棋が本当に習慣だったのかは分からない。
毎日やっていたわけじゃないし、本気で勉強していたわけでもない。
30級で始めた。
それが、なんとなく続けていたら初段まで上がった。
これは結構すごい。
一気に頑張ったわけじゃない。
でも、やめなかった。
それだけで、気づいたらかなり上達していた。
「継続って強いんだな」と思ったのは、この経験だった。
だから、
「続けるためには毎回強い意志が必要」
というのも、ちょっと違う気がする。
毎回「よし、今日も頑張るぞ」とやっていたわけじゃない。
なんとなく始める。
それが続く。
この差はかなり大きいと思う。
「続かない」を一つの理由で説明しようとするのは難しかった
ここまで自分の経験と心理学の知見を照らし合わせてみたけど、やっぱり「これが続かない原因です」と一つに決めるのは難しかった。
自分の中でも、続かなかった理由はそのときどきで違う。
じゃあ実際に、続いたものと続かなかったものをもう一度並べてみると、何が見えてくるんだろう。
資格は続かなかったのにブログは続いた
ここまで来ると、
「やっぱり、自分がやりたいことなら続くんじゃないか?」
と思う。
でもブログを見ると、それだけでもない。
ブログは、楽しいこともあれば嫌なこともある。
アクセスや読者の反応を見るのは面白い。
自分が改善したところが数字に出る。
自分の経験が、知らない誰かの何かの役に立っているのかもしれない。
これは結構嬉しい。
一方で、明らかに面倒な作業もある。
やらないと前に進まない。
でも、やりたくない。
ここはゲームと全然違う。
ゲームは、そもそも人を楽しませるためにある。
難しいところがあっても、途中でやめていい。
やめても何も問題ない。
もうちょっと強くなりたいと思ったら調べる。
別に今はいいやと思ったら遊ぶ。
自由だ。
ブログには、
「これ、やらないと進まないな」
というものがある。
この違いはかなり大きい気がする。
理由は場面で違った
会社の仕事も同じ。
仕事は別に、「やりたいからやっている」というものじゃない。
まず、
やらないとお金がもらえない。
ここは大前提。
たぶん、お金がいくらでもあるなら会社を辞める人はかなりいると思う。
そのうえで、どうせ働いて、その中にいないといけない。
だったら、
「できる人と思われたい」
という気持ちもある。
いや、「できる人と思われたい」というより、
「できない人とは思われたくない」
の方が近いかもしれない。
人に見られている。
仕事をすれば評価される。
やらなければ困る。
こういう条件がある。
だから、
「やりたいことじゃないと続かない」
わけでもない。
やりたいものには、やりたいものなりの続きやすさがある。
やりたくないものにも、別の続きやすさがある。
ここまで来ると、
「続かない人にはこういう性格がある」
というより、
「やることによって、続きやすい条件が違う」
と考えた方がしっくりくる。
「続かない人はこういう人」と決めつけない
昔は、
「自分は飽きっぽい」
「意志が弱い」
「何をやっても続かない」
と思っていた。
でも、並べてみるとそんなに単純じゃない。
野球は続いた。
将棋も続いた。
ブログも続いた。
筋トレも昔は続いた。
仕事も続いた。
一方で、資格は1日。
ブログも3サイトは数か月。
習字は、子どものころに教室の塀を登って脱走した。
先生のおばちゃんが笑いながら怒っていたのが妙に楽しくて、それから脱走癖がついた。
こんなのまである。
これを全部、
「意志が弱いから」
で説明するのは無理がある。
「続かない人」という人間のタイプがあるというより、
何をやるのかによって、続かせる方法が違う。
今はこっちの方がしっくりきている。
「当てはまった/少し違った/よく分からなかった」を全部並べてみた
ここまで調べてみて、「これは自分に近いな」と思ったものもあれば、「そこまででもないな」と感じたものもあった。
せっかくなので、全部をきれいに当てはめようとせず、自分の感覚に近かったもの、少し違ったもの、よく分からなかったものに分けて並べてみる。
当てはまったもの
自分の場合、近いと思ったのは、
「自分からやっている感覚」
「やった結果が返ってくること」
「始めるときの重さ」
「自然に始めやすいこと」
あたりだった。
特にゲームや将棋は分かりやすい。
考える
↓
やってみる
↓
結果が出る
↓
少し変える
↓
またやる
この流れが自然にある。
レーティングがつくゲームが好きなのも、たぶん関係している。
分析して、行動を変える。
結果が返ってくる。
ちゃんと伸びる。
これが面白い。
「続けよう」と思って続けているというより、面白いから触っている。
自分には、こういう条件がかなり合っているんだと思う。
少し違ったもの
一方で、
「やりたいことなら全部続く」
わけじゃない。
ブログには、やりたいことの中に「やりたくない作業」が入っている。
会社もそうだ。
自分からやりたいわけじゃなくても続く。
だから、「内発的な動機があれば続く」という説明だけでは足りない。
外からの理由でも動くことはある。
よく分からなかったもの
野球は、なぜあんなにハマったのか今でもよく分からない。
習字も、脱走したときのおばちゃんの反応が面白かったからなのか、それだけじゃないのか分からない。
将棋も、
「なんとなく続いていた」
という説明が一番近い。
心理学の理論を調べれば、全部きれいに説明できると思っていたわけじゃないけど、もう少し分かるのかなとは思っていた。
実際にはそうでもなかった。
でも、これは悪いことでもない。
「自分の行動は、全部一つの理論で説明できるわけじゃない」
と分かったからだ。
心理学を知っただけでは、僕の行動は変わらなかった
ここまで調べてみると、「なるほど」と思うことはいくつもあった。
でも、知識が増えたからといって、それだけで行動できるようになったわけではない。
むしろ、昔モチベ動画を見ていたときと同じように、分かった気になって終わることもあった。
なるほどと思っても動くとは限らない
ここは昔の自分なら、かなり危なかったところだと思う。
自己決定理論がある。
先延ばしにはこういう話がある。
習慣にはこういう仕組みがある。
「なるほど、勉強になった」
で終わる。
これ、モチベ動画を見ていたころとあまり変わらない。
知識は増える。
「分かった」気になる。
でも、現実は動かない。
だから心理学も、知識を増やすこと自体が目的になると危ない。
また情報を集めて、それで少し安心して終わる。
それじゃ意味がない。
必要だったのは「止まり方」を知ること
昔は、
「続かなかった」
という結果だけを見ていた。
今なら、その途中を見る。
資格なら、
参考書を買う
↓
開く
↓
おもしろくない
↓
「今からやるぞ」と気合いを入れないといけない
↓
止まる
ブログなら、
興味のないジャンルを選ぶ
↓
分からないことが出る
↓
ちゃんとやろうとする
↓
全体が大きく見える
↓
止まる
仕事なら、
やらないとお金にならない
↓
周囲にも見られている
↓
決まった時間に行く
↓
やる
ゲームなら、
なんとなく始める
↓
考える
↓
結果が出る
↓
またやる
同じ「続ける」でも、中身が全然違う。
だから、
「なぜ続かなかった?」
だけを見るより、
「どこで止まった?」
と見た方が分かりやすい。
原因が見えたら、次は何を変えるのか
ここからは心理学だけでは答えが出ない。
興味がないなら、
「そもそも、なんでこれをやるんだ?」
を考えた方がいい。
始めるのが重いなら、始め方を変える。
何が原因なのか分からないなら、もう少し観察する。
結局、その行動によって使うものが違う。
ここは今回かなり大きい発見だった。
「続かない自分を責める」より、「自分の動き方を知る」
自分がどこで止まりやすいのかを見ていくと、「続かなかった」という結果だけで自分を責める必要はないのかもしれないと思うようになった。
続かなかったこと自体は事実。
でも、それと「自分には価値がない」とか「自分は何をやってもダメだ」という話は、別に考えていい。
そのあたりを、もう少し自分の経験から整理してみる。
事実と自分の価値は別
「資格の勉強が続かなかった」
これは事実。
「だから僕はダメな人間だ」
は別の話だ。
昔は、ここが混ざっていた。
何かが続かない。
↓
また失敗した。
↓
自分はダメだ。
↓
「うわーーーー!」
となる。
「・・・・」
となって、あまり考えたくなくなる。
そのまま動画を見る。
自分へのダメージを減らすための現実逃避だったんだと思う。

責める材料ではなく、次の行動の材料
「続かなかった」という結果だけを見ると、何も分からない。
でも、
「なんで?」
と見ていくと、いろいろ出てくる。
資格なら、
「そもそも、なんでこれをやろうと思ったんだ?」
となる。
ブログなら、
「なんでこの作業で止まったんだ?」
となる。
ゲームなら、
「なんでこれは勝手に続くんだ?」
となる。
失敗を、自分を責める材料にするのか。
それとも、
「自分はこういうところで止まりやすいんだな」
と知る材料にするのか。
少なくとも後者の方が、その先を考えやすい。
まだ試行錯誤の途中
今でも何でも続けられるわけじゃない。
「これ、なんでこんなに重いんだ?」
と思うこともある。
ただ、昔とは少し違う。
「また続かなかった。僕はダメだ」
で終わらなくなってきた。
「どこで止まった?」
と考える。
「何が嫌だった?」
「始めることが重かった?」
「そもそも興味があった?」
「一人だったから止まった?」
そんな感じで見ていく。
答えがすぐ出るわけじゃない。
でも、全部を自分の性格のせいにするよりは、まだ先がある。
「続かない」を一つだけ見てみる
この記事を読んで、
「自分もそうかも」
と思ったなら、いきなり自分の人生全部を分析する必要はない。
一つだけでいい。
最近続かなかったことを一つ
最近、
「また続かなかったな」
と思ったものを一つ思い出す。
どこで止まった?
次に、
「どこで止まった?」
と考える。
始める前?
始めた直後?
難しいところ?
結果が出ないところ?
面白くなくなったところ?
ここが分かるだけでも、見え方は少し変わる。
心理学と照合する
そのあとで、
「自分から選んでいる感じはあったか?」
「始めるのが重かったか?」
「自然に始められていたか?」
「難しいことが出て止まったのか?」
みたいなことを調べてみる。
全部当てはまらなくてもいい。
「当てはまった」
「少し違った」
「よく分からない」
それで十分だと思う。
分かったら、次の道具を考える
何か見えてきたら、
「じゃあ、次は何を変える?」
となる。
興味がないなら、そもそもやる理由を考え直す。
始めるのが重いなら、始め方を変える。
難しいことで止まるなら、そこを小さくする。
一人だと止まるなら、人との関わりを入れる。
ここから先は、その人、その行動によって違う。
「続かない人間」ではなく、「続かない条件がある」
今回、自分の過去をいろいろ並べて、心理学とも照らし合わせてみた。
最初は、
「僕が続かない原因は何なんだ?」
を知りたかった。
でも、最後まで見ていくと、ちょっと違った。
「僕という人間に、続かない原因が一つある」
という感じではない。
資格は続かなかった。
ブログは続いた。
将棋も続いた。
仕事も続いた。
ゲームも続く。
しかも、続く理由もそれぞれ違う。
自分からやりたいと思うこと。
なんとなく始められること。
結果が返ってくること。
人に見られていること。
やらなければ困ること。
逆に、興味がなかったり、始めるのに気合いが必要だったり、難しいことが大きく見えたりすると止まりやすい。
だから今は、
「続かない人間だからダメなんだ」
とは考えなくなった。
それより、
「自分は、この行動のどこで止まりやすいんだろう?」
と考える。
心理学は、そのための材料にはなる。
ただ、全部の答えをくれるわけじゃない。
当てはまるものもあれば、当てはまらないものもある。
だからこそ、自分の実際の行動を見る。
そこから、
「じゃあ次はどうする?」
を考える。
今のところは、それが一番しっくりきている。

