モチベ動画を300本以上見た僕が「結局何が大事だったか」をまとめてみた

モチベーション動画を見ているナマケモノのイラスト 動く・続ける工夫

モチベーション動画を300本以上見てきた。

たぶん10年以上、YouTubeで成功者の話や自己啓発、習慣化の動画を見続けてきたと思う。かなり控えめに計算しても「300本以上」で、実際にはもっと多い。

それだけ見てきたのに、動画を見た勢いのまま作業を始めることはほとんどなかった。体感では、100本見ても、その日のうちに実際の作業を始めるのは1本あるかどうか。

今振り返ると、モチベ動画は僕を動かすためのものというより、動けない苦しさから一時的に逃げるための道具になっていた。

それでも、300本以上見た時間が全部無駄だったとも思わない。

この記事では、そんな僕がモチベ動画を見続けて分かったことを、自分の経験をもとにまとめてみた。

「何かやらなきゃ」と思っているのに、今日もYouTubeを見ていた

僕は昔、何かやりたいことがあるのに動けないとき、YouTubeをよく見ていた。

「モチベーション動画を見れば自分も変われる!」と思って、最初から探していたわけではない。

むしろ、何か作業をやりたいのにできなくて、その逃げ道としてYouTubeを開いている最中に、たまたま見つけることのほうが多かった。

「なんで自分はできないんだろう」

そう思って検索して、

自己啓発。
成功者の話。
習慣化。
朝活。
名言。
ブログのやり方。
社会人がビジネスをする方法。
お金持ちになる方法。
おすすめの資格。

もう、自分を動かす何かを探しているのか、ただ動画を見るのを楽しんでいるのか、分からなくなるくらい見ていた。

特に成功者の話は好きだった。

「うわ、めっちゃ面白い」

「自分もいける!」

「よし、やってやる!」

動画を見ている瞬間は、本当にそう思う。

動けないときにYouTubeを開き、モチベ動画を見て一時的に前進した気になる行動ループ

僕にとってモチベ動画は「0.1歩進んだ気になれる逃げ道」だった

今振り返ると、僕にとってモチベ動画は、何もしていない苦しさを一時的に和らげるための逃げ道になっていた。

本当なら、ブログをやりたい。

勉強したい。

何かを作りたい。

でも、できない。

すると、

「なんでお前こんなことできねえんだよ!」

「すぐに逃げんな!」

「なんでこんなちょっとやるだけなのにできないんだ……」

と、自分に腹が立つ。

できない自分への怒りとか、絶望とか、「自分ならもっとできるはず」という期待が、少しずつ削られていく。

そんなときに動画を見る。

すると、

「今日は重要な知識を入れたから、明日からやればOKにしよう」

みたいに思える。

何もしていないわけじゃない。

少なくとも今日は、動画を見て知識を入れた。

ちょっと成長した。

頑張っている。

そんなふうに、自分を納得させることができる。

現実はほとんど進んでいないのに、苦しさだけは少し軽くなる。

この感覚が、かなり心地よかったんだと思う。

そして、それを何年も続けてしまった。

僕の場合は、ゆっくり効いてくる毒みたいなものだった。

「300本以上」は、かなり少なめに見積もっている

タイトルには「300本以上」と書いた。

別に全部数えたわけではない。

でも、かなり少なく見積もっても、月に3本くらいは見ていたと思う。

それを10年続けたとしても、

月3本 × 12か月 × 10年 = 360本。

だから「300本以上」とした。

実際には、よく見ていた時期なら1日5本くらいを週5日ほど見ることもあった。

なので、本当はもっと多いと思う。

ただ、正確な本数を数えていない以上、「1000本以上見ました!」とまで言うのは違う気がする。

かなり控えめに見積もっても300本以上。

それくらいは見てきた。

ワクワクはする。でも、その勢いで作業を始めることはほとんどなかった

モチベーション動画を見て、

「マジでいける!」

「絶対やってやる!」

と思ったことは何度もある。

特に成功者の話は、本当にワクワクした。

たとえば「起業チャレンジ!覆面ビリオネア」みたいな動画が好きで、ああいうものを見ると、

「自分もいけるんじゃないか?」

と思ってしまう。

動画としても面白い。

成功している人の話を聞いていると、自分まで何かできるような気になる。

でも、そのまま作業を始めることはほとんどなかった。

体感では、動画を100本見て、その勢いのまま当日に作業を始めるのは1本あるかどうか。

しかも、そうやってたまたま作業を始めたときも、

「この動画のおかげで続けられた」

とは思っていない。

締切が近かったり、年齢的な焦りがあったり、

「こんなことしてる場合じゃねえ!」

と思うような現実側の圧力がかかったときに動いたことのほうがずっと多かった。

だから僕は今でも、

「モチベ動画を見れば人は動ける」

とは思っていない。

じゃあ、300本以上見たのは全部無駄だったのか?

ここは、今なら「違う」と思う。

もし、

「モチベ動画を何百本も見たなんて、全部時間の無駄だった」

だけで終わるなら、話はもっと簡単だった。

でも、実際にはそうでもなかった。

動画を見ていたことで、後から役に立ったことはかなりある。

たとえば、コメント欄を見て、

「自分だけができないんじゃないんだな」

と知った。

動画のタイトルでは「やる気が出ない原因はこれ!」みたいに一つの理由を扱っていても、コメントを見れば、

「私もできませんでした」

という人がたくさんいる。

しかも、そういう人たちは、一つの理由だけで動けないわけではない。

仕事の疲れ。

家に帰ってからの環境。

スマホ。

不安。

目標の曖昧さ。

いろんなものが複雑に絡んでいるんだろうな、と感じるようになった。

今こうして「続かない」という悩みを原因ごとに分けて考えているのも、もともとはそういうものを大量に見てきた経験が土台の一つになっている。

この「原因ごとに分けて考える」という話については、別の記事で、実際の「やる気が出ない・動けない」という悩みを集めて、いくつかのパターンに分けてみた。

動画で何度も言われたことが、後から実際の行動につながったこともある

今の僕ができるようになったことの中には、動画を何本も見てきたことが土台になっているものもある。

たとえば、作業を小さく分解すること。

一回言われただけなら、

「へぇ、そういう方法もあるのね」

くらいだったと思う。

でも、いろんな動画で何度も何度も言われる。

そこまで言うなら、

「一回試してみるか」

となる。

実際にやってみたら、

「あれ、これ結構いいな」

となった。

今では、こうして作業をかなり細かく分けながら進められるようになった。

つまり、

動画を見たことが直接、行動につながったわけではない。

でも、

知る
↓
頭の片隅に残る
↓
後になって試してみる
↓
自分の経験になる

という流れはあった。

だから「見た時間=全部無駄」とまでは思わない。

「やらなくていいこと」が分かるようになったのも大きかった

動画を大量に見てきたことで、今の僕が明らかに避けられるようになったものもある。

たとえば、今から副業をやるとしても、ポイ活をやろうとは思わない。

ライティングの仕事を大量に受けることもしない。

「芸能人の年収は?」
「整形疑惑は本当?」
「恋人は○○?」

みたいな、検索されそうな話題を並べて小銭を稼ぐだけの個人ブログもやらない。

昔だったら、

「これで稼げるらしい!」

で飛びついていた可能性がある。

今は、

「この人は、こういう仕組みで人を集めて、こうやって収益化しようとしているんだな」

と、少し離れて見られるようになった。

そして、何かをやるとしても、

「どうやってお金を稼ぐか?」

だけで考えなくなった。

今は、

「誰のために、どんな悩みを、どのくらい解決できるか?」

を先に考えるようになった。

このブログだって、この記事を書いている今はお金のことをほとんど気にしていない。

「同じ悩みを持った自分みたいな人はどれくらいいるんだろう」

「自分には何ができるんだろう」

と考えている。

ここまで考え方が変わったことには、今まで見てきたものの影響もあると思う。

それでも「知識が増えた」と「行動できる」は全然違った

ここは、僕が一番伝えたいところ。

昔の僕は、

「もっと良い動画を見つければ、今度こそ動けるかもしれない」

と思っていた。

だから探す。

見つける。

ワクワクする。

またやる気になる。

そして、また何もしない。

知識は増える。

でも、実際の経験は増えない。

僕が感じていた「知識が増えた」と「実際に行動する」は別物だという感覚とも重なる。

「やろう」と思うこと自体には意味がある。

でも、「やろうと思った」と「実際にやった」は別の経験だ。

そして僕が一番怖かったのは、時間だけじゃない。

自分への自信まで、少しずつなくなっていったことだった。

僕はもともと、かなり自信のある人間だった。

「俺ならできる」

と思っていた。

それが、

またできなかった。
また明日になった。
また動画を見た。

そういうことを何度も何度も繰り返しているうちに、

「なんで俺はこんなこともできないんだ」

に変わっていった。

その積み重ねが10年以上続いた。

「何もしなかった時間」で失ったのは、時間だけじゃなかった

もちろん、ブログを始めるのが遅れた。

挑戦するのも遅れた。

実際に作業した経験も増えなかった。

「明日からやろう」も何度も繰り返した。

でも、もっと大きかったと思うのは、

「できたかもしれない可能性」を、1日ずつ減らしていったこと

だ。

1日やらなくても、大したことはない。

また明日やればいい。

でも、その明日がまた来る。

それを繰り返しているうちに、年齢によって現実的に選べるものが少しずつ変わっていく。

年齢によって、現実的に選びやすい仕事や選択肢は変わってくる。

若いときからお金を稼いでいれば、もっと長い期間を投資に回せたかもしれない。

そう考えると、失ったものは「YouTubeを見ていた時間」だけではない。

「本当はできたかもしれないことを試してみる機会」も、少しずつ減っていたんだと思う。

この「明日からやろう」が何年も積み重なるとどれくらいになるのかは、別の記事で時間とお金にして計算してみた。

それでも、全部が無駄だったとは思わない

ここは今の僕自身でも、少し不思議なところだ。

現実だけ見れば、

「もっと早く動けばよかった」

と思う。

当然そうだ。

でも、

「あの10年は全部無駄だった」

とも思わない。

本当に亀みたいな速度だった。

できる人から見たら、

「何も進んでなくね?」

と思われるかもしれない。

それでも、ずっと気になっていた。

ずっと見ていた。

ずっと考えていた。

そのおかげで、

「ブログについて聞かれたら話せる」

「SEOについても多少は分かる」

「怠けてしまう人の気持ちもある程度分かる」

「やらないほうがいい副業も分かる」

という状態にはなった。

何もしていない人が、ある日突然「何かやりたい」と思った場合と比べれば、少しはマシなスタートラインに立てているのかもしれない。

月0.1ずつでも進んでいたなら、完全なゼロではなかった。

牛歩ならぬ亀歩でも、積み上がっていたものはあった。

今は「モチベ動画を見るな」とは思わない

ここまで読んだら、

「じゃあモチベ動画なんて見ないほうがいいってこと?」

と思うかもしれない。

僕はそうは思わない。

今でも動画は見る。

ただ、使い方が変わった。

たとえば、

作業A
↓
休憩
↓
動画を見る
↓
作業B

みたいな使い方。

これなら、休憩が終わったあとに作業へ戻りやすい。

逆に、

作業Aが嫌になる
↓
YouTubeを見る
↓
モチベ動画を見る
↓
関連動画を見る
↓
別の動画を見る
↓
気づいたら今日は終了

となったら、僕にとってはかなり危険。

特に、おもしろ動画は休憩中に見ると、そのままどこかへ連れていかれる(笑)。

今の僕は、

「動画を見ること」が悪いんじゃない。

「動画を、やるべきことから逃げるための道具にすること」が問題だった。

と考えている。

僕が実際に「やらなきゃ」と思いながらスマホや別のことへ逃げていた流れは、別の記事でかなり細かく振り返っている。

だから、暇つぶしに見るのもいい。

作業の隙間に見るのもいい。

必要なことを調べるのもいい。

ただ、逃げ道にしない。

それだけ意識するようになった。

結局、一番大事だったのは「見ること」より「少しでも動くこと」

10時間動画を見るより、1時間実際にやってみたほうが、僕にとっては圧倒的に経験値が高い。

実際にやってみれば、

「ここが分からない」

「思ったより時間がかかる」

「これは意外と面白い」

「この方法はダメだった」

みたいなことが分かる。

これって、動画を見ているだけではなかなか手に入らない。

だから僕は、

知識を得ることと、行動することを同じものとして考えない

ようになった。

動画を見る。

知識を得る。

ワクワクする。

それ自体は悪くない。

でも、

現実を進めるのは、最終的には自分が手を動かしたとき。

ここは、今ならかなり実感がある。

じゃあ、モチベ動画は何のために見るのか?

僕なら、

「行動の代わりにするもの」ではなく、「行動の材料にするもの」

くらいに考える。

知らなかったことを知る。

自分と同じことで悩んでいる人がいると知る。

新しい方法を知る。

「これはやらなくていいな」と判断できるようになる。

そういう役割なら、普通に価値がある。

ただし、

「動画を見たから、今日は頑張った」

にはしない。

動画は動画。

行動は行動。

ここを分ける。

僕自身がこう考えるようになるまでの経緯は、プロフィールにもまとめている。

300本以上見て、最後にたどり着いた結論

僕はモチベーション動画を300本以上見てきた。

たぶん、実際にはもっと多い。

そして、その多くを見て、

「よし、明日からやるぞ!」

と思った。

でも、ほとんどの場合、その勢いだけでは動かなかった。

むしろ昔の僕にとっては、

動けない
↓
動画を見る
↓
少し前進した気になる
↓
苦しさが薄れる
↓
また動けない

という逃げ道になっていた。

それを何年も続けた。

だから、もし昔の僕に一つだけ言えるなら、

「もっと良いモチベ動画を探す前に、ちょっとだけ手を動かしてみろ」

だと思う。

「少し動け」と思っても、目の前の作業が大きすぎると止まることもあった。そんなときは、やることを細かくするとかなり動きやすくなった。

ただ、動画を見てきた時間が全部無駄だったとも思わない。

知識は増えた。

自分だけじゃないと知れた。

後から役に立つ情報もあった。

やらなくていいことを判断する力もついた。

だから、

「動画を見るのをやめる」

が答えではない。

僕の場合に必要だったのは、

「動画を見ること」と「行動すること」を別物として考えること。

そして、逃げ道として動画を見るのではなく、

少しでも実際に動く。

たぶん、結局そこが一番大事だった。

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