「今回こそ続けよう」
そう思って始めても、一人でやっているといつの間にか止まる。
僕も何度もそうなった。
「また続かなかった」
それだけなら、自分の意志が弱いで終わってしまう。
でも、あるとき気づいた。
誰かに「やる」と伝えたり、やったかどうかを見てもらったりすると、明らかに行動が変わることがある。
ただ、誰かに報告すれば何でも続くわけじゃない。
僕の場合は、何をやるのか、どんな状態なのか、誰に見てもらうのかでかなり違った。
今回は、自分の経験を振り返りながら、
「なぜ一人だと続かなかったのか」
「なぜ人に見てもらうと動けたのか」
を考えてみる。
一人でやろうとすると、なぜか続かなかった
昔の僕は、何かを始めること自体は結構あった。
むしろ問題は、そのあとだった。
最初だけはちゃんとやる
大学時代なら、
「国家資格を取ったら良さそう」
「公務員って安定してるし、なんかかっこいい」
みたいなことを考えていた。
給料。
休日。
安定。
世間からの見え方。
そういう情報を調べているときは、かなりワクワクする。
よし、やってみよう。
そう思って勉強を始める。
参考書を開く。
「~が~で……」
みたいな難しい問題が並んでいる。
……面白くない。
そりゃそうだった。
僕がワクワクしていたのは、その資格を取った先の話だった。
参考書を開いて、その問題を解くことをやりたかったわけじゃない。
そこから、すぐに崩れる。
公務員試験も似ていた。
最初は「良さそう」で始める。
実際の勉強になると続かない。
今考えると、これはかなり分かりやすい。
本心ではそこまでやりたいことじゃないのに、頭の中で「やったほうがいいもの」にして無理やり頑張ろうとしていた。
ブログは少し違った。
ブログそのものは好きだった。
書くことも好きだった。
それでも止まる。
記事を書く。
調べる。
構成を考える。
よく分からない作業を覚える。
ブログという大きな枠の中に、難しい作業がいくつもある。
好きなことなのに、そこで止まることがあった。
つまり、「やりたいことなら続く」とも言い切れない。
少しずつ崩れて、誰にも言わなくなる
一人でやっていると、休んでも誰にも何も言われない。
今日やらなかった。
明日やればいい。
明日もやらなかった。
来週やればいい。
そのまま何週間も空く。
誰にも宣言していない。
誰にも報告していない。
途中で止めても、自分の中だけで終わる。
僕自身、そういうことを何度も繰り返してきた。

「また続かなかった」となる
少し休んだだけのつもりが、そのまま終わる。
気づいたときには、
「また続かなかった」
となっている。
そこで自分を責める。
「自分は何をやっても続かない」
そう思う。
でも、何度か繰り返しているうちに、少し気になることが出てきた。
誰にも言っていないから、止めても何も起きない。
これは最初から、うすうす感じていた。
一人なら、一人の中だけで完結する。
やらなかったことも、誰にも知られない。
だったら、
「誰かに言ってみたらどうなるんだろう?」
と思った。
「誰にも言っていない」ことが、意外と大きかった
一人でやっていると、
「今日はいいか」
が簡単に成立する。
誰かと約束しているわけでもない。
明日までに終わらせる必要もない。
途中で止まっても、
「まあ、仕方ない」
で終わる。
僕はここが自分に合わないのかもしれないと思った。
やる気の問題だけではなく、
自分一人の中だけで完結していること
そのものが、続けにくさにつながっているのかもしれない。
やらなくても、誰も困らない
これは結構大きい。
自分のブログを今日更新しなくても、誰かに迷惑をかけるわけじゃない。
資格の勉強をやらなくても、誰かから催促されるわけじゃない。
明日になっても、怒られない。
仕事とは全然違う。
仕事なら、
「今日はやりたくないので、この仕事はやりません」
とはならない。
やらなければ仕事が止まる。
周りにも分かる。
自分の中だけで完結していた
宣言もない。
報告もない。
進んだかどうかを知っているのも自分だけ。
これなら、途中で気持ちが切れたときに、そのまま消えるのも自然だった。
一度、人に言ってみたらどうなるんだろう。
人に言ってみることにした
僕はリアルで知り合いの人に、ブログをやっていることをほとんど言ってこなかった。
自分が書いた文章を見られるのが恥ずかしかったからだ。
それでも、ブログを自分でやりたいと思っていた。
書きたいことを書くのも好きだった。
特に難しい作業が目の前に立ちはだかっているわけでもない。
それなのに、できない。
娯楽の誘惑が強かったのかもしれない。
何か他にも理由があったのかもしれない。
そこで、一番何を言っても大丈夫だと信頼できる知人に、
「ブログをやってる」
と伝えた。
さらに、
「更新したかどうかだけ、ちょっとの期間確認してほしい」
と頼んだ。
これだけ。
毎日細かく指導してもらったわけじゃない。
勉強を教えてもらったわけでもない。
ただ、見ていてもらった。
すると、その期間はちゃんと続いた。
自分でも少し驚いた。
実際に人に宣言・報告してみたら、何が変わった?
何か特別なことをしてもらったわけじゃない。
それなのに、行動が変わった。
「やる」と言った以上、無視しにくくなった
一人なら、
「今日はやめよう」
で終わる。
知人には、
「ブログやってる」
と言ってしまった。
更新したかどうかも見てもらうことになった。
そうなると、
「今日やらなかった」
だけで終わらない。
頭のどこかに、
「どうだった?」
が残る。
サボったと思われたくない。
次に見てもらう。
その前に少しでも進めておきたい。
そんな感覚が出てくる。
次の確認が、行動の区切りになった
一人でやっていると、
「いつまでにやればいいんだ?」
が曖昧になる。
今日やらなくても、明日でいい。
明日じゃなくても、来週でいい。
でも、
「次に確認してもらうまでにやる」
があると、そこに小さな区切りができる。
僕の場合は、それだけでかなり違った。
僕にとっては、嫌な強制ではなかった
ここは仕事とは少し違った。
仕事では、
「言ってしまった以上やる」
という強い外圧があった。
新卒で入った会社では、最初から「頑張る系のキャラ」になってしまった。
「できます」
「大丈夫です」
「これやってもいいですか?」
そんな感じで、前向きに頑張る自分を自分で設定してしまった。
正直、しんどかった。
でも、そのおかげで仕事はどんどんできるようになった。
頑張ったら頑張っただけ褒められる。
それも気持ちよかった。
どんどん頑張る方向に進んでいった。
知人にブログを見てもらったときは、これとは違った。
怒られるわけじゃない。
厳しく管理されるわけでもない。
ただ、
「やったかどうかを見てもらう」
くらい。
それでも僕は動いた。
強制力はある。でも、しんどくない。
このくらいが自分にはちょうどよかったのかもしれない。

「やった」と報告したことより、「見ていてもらった」ことが大きかったのかもしれない
よく考えると、僕の場合は「報告」という言葉もちょっと違う気がする。
もちろん、
「やった」
と伝えることも行動の区切りにはなる。
でも、一番効いたのは、
「誰かが自分のやっていることを知っている」
ということだったのかもしれない。
自分一人のことではなくなる。
この感覚が、僕には合っていた。
一人のときと何が違ったのか
こうやって比べてみると、かなり単純な違いもある。
一人でやる。
やらなくても誰にも分からない。
途中で止めても、自分の中だけで終わる。
人に見てもらう。
「やる」と伝えている。
次に確認される。
少しだけ、自分一人の問題ではなくなる。
それだけで行動が変わった。
ただ、ここで一つ気になることもある。
じゃあ、誰かに言えば誰でも続くのか?
たぶん違う。
「誰かに報告すれば続く」というほど単純ではなかった
僕自身、そんなに単純ではなかった。
報告しても続かなかったことはある
中高生のころ、親に、
「今からやるから!邪魔しないでね!」
と言ったことがある。
言った。
宣言した。
じゃあ勉強したのか。
全然やらなかった。
今考えると、身近すぎたのかもしれない。
「親に言ったから頑張ろう」
という感じにならなかった。
むしろ、
「言ったんだから、もういいでしょ」
みたいな空気だった気もする。
だから「人に言う」という行為だけで決まるわけではない。
相手との関係や、見られ方でも違いそうだった
仕事では、
「この人にどう見られるか」
がかなり強く働いた。
知人の場合は、
「サボったと思われたくない」
という気持ちはある。
でも、それだけじゃない。
「この人なら見られても嫌じゃない」
という安心感もあった。
この違いは大きいと思う。
怖いからやる。
怒られるからやる。
それだけでは、長く続けるのはしんどそうだ。
僕には、
見てもらえるけど、嫌じゃない
くらいの距離感が合っていた。
別のところで止まっている場合もある
人に報告しても、
なら、そこが問題かもしれない。
なら、報告相手を作るより先に、やることを整理する必要があるかもしれない。
家に帰ると急に動けなくなるなら、仕事と家の条件差を見るほうが近い場合もある。
僕みたいに、やろうとしていたことから別のことへ逃げてしまうなら、逃げる直前を見る方法もある。
一人で続かない。
だから報告する。
これだけでは、少し乱暴だった。
研究を調べてみたら、「進み具合を確認すること」が目標達成に関係していた
ここまで自分の経験を振り返ると、
「たまたま僕だけこうなったのかな?」
と思う。
少し調べてみると、目標の進み具合を確認したり、その結果を誰かに報告したりすることと、目標達成との関係を調べた研究があった。
目標の進み具合を確認し、結果を報告すること
目標の進み具合を確認する。
その結果を誰かに報告する。
僕がやっていたのも、ざっくり言えばこういうことだった。
このあたりを調べてみると、目標の進み具合を自分で確認したり、誰かに報告したりすることと、目標達成との関係を調べたメタ分析があった。
Harkinらの2016年のメタ分析では、138研究・19,951人を対象に、目標の進捗をモニタリングする介入について調べている。結果として、進捗を確認する行動が増えるだけでなく、目標達成も促される傾向が確認された。また、進捗の結果を誰かに報告したり、公開したりする条件では、目標達成への効果がより大きかった。
もちろん、この研究が「信頼できる知人にブログの更新を見てもらう」という僕の経験をそのまま証明しているわけではない。
それでも、「自分がどこまで進んだかを確認する」「その結果を誰かに見てもらう」という仕組みが、行動を続ける助けになるという点では、僕の経験とかなり近かった。
Harkin, B., Webb, T. L., Chang, B. P. I., et al. (2016). Does monitoring goal progress promote goal attainment? A meta-analysis of the experimental evidence. Psychological Bulletin, 142(2), 198–229.
僕がやっていたことも、かなり近い。
「ブログをやります」
と宣言する。
「更新した?」
と見てもらう。
それだけで、自分一人のときとは少し違う状態になった。
今なら、オンラインでも「見てもらう」ことはできる
今なら、直接会わなくてもできる。
チャット。
オンラインコミュニティ。
SNS。
ビデオ通話。
いろいろな形がある。
誰かと直接会っていなくても、
「自分のことを知っている人がいる」
という状態は作れる。
「報告=必ず継続」ではない
ここは大事。
研究があるからといって、
「じゃあ報告すれば続く」
にはならない。
僕自身、親に宣言しても勉強しなかった。
やることによっても違う。
相手との関係でも違う。
自分の状態でも違う。
だから、
「人に報告する」
は、あくまで一つの方法。
自分に合うかどうかを試すくらいでいいと思う。
「自分も一人だと続かないかも」と思ったら、小さく試してみる
ここまで読んで、
「自分も一人だと続かないのかもしれない」
と思った人は、一度だけ小さく試してみると分かりやすいかもしれない。
まず、次にやることを1つ決める
大きな目標はいらない。
「資格を取る」
ではなく、
「今日は参考書を10ページ読む」
でもいい。
「ブログを頑張る」
ではなく、
「今日は見出しを一つ作る」
でもいい。
誰か1人に伝える
信頼できる人でいい。
「今日これやる」
くらいでいい。
長い説明もいらない。
終わったら報告する
できたら、
「やった」
でいい。
できなかったら、
「できなかった」
でもいい。
完璧に続けることが目的じゃない。
自分の行動がどう変わったか観察する
一人のときと比べる。
少しやりやすかったか。
「やらなきゃ」という気持ちは変わったか。
誰かに見てもらうほうが動きやすかったか。
逆に、全然変わらなかったか。
これだけ見ればいい。
目的は、
「報告すれば続けられる人になる」
ことじゃない。
「誰かにやったことを伝えたり、見てもらったりするほうが、自分は動きやすいのか?」
を知ること。
一人で続けられないなら、「一人で頑張る」以外も考えていい
「一人で続かない」
という経験が何度もあると、
「じゃあ自分がもっと頑張らないと」
となりやすい。
僕もそうだった。
そんな経験を重ねて、少し考え方が変わった。
一人で続けられない。
なら、
一人で続ける方法だけを探さなくてもいい。
人に宣言する。
見てもらう。
報告する。
誰かと一緒にやる。
そういう方法を使ってもいい。
人に頼ることを、
「自分一人では何もできない」
と考える必要もない。
自分に合う条件を借りているだけなのかもしれない。
もちろん、誰かとつながれば何でも解決するわけではない。
人に見てもらっても、やりたくないことはやっぱりやりたくない。
作業が大きすぎれば止まる。
何をすればいいか分からなければ止まる。
家で動けないなら、別の問題もある。
だから「報告」という方法も、その人に合う条件の一つとして考えればいい。
まとめ:「一人で続ける」ことだけが正解じゃなかった
一人で始める。
少し崩れる。
そのまま止まる。
「また続かなかった」
自分一人でやっていると、僕は何度もこの流れになった。
人にブログをやっていると伝えて、更新したかどうかを見てもらった。
それだけで、その期間はちゃんと続いた。
なぜ効いたのか。
「やる」と言ったから。
次に見てもらうことがあるから。
サボったと思われたくないから。
誰かが自分の行動を知っているから。
いくつか理由はあると思う。
僕の場合は、
自分一人のことではなくなる
という感覚が、かなり大きかった。
でも、親に宣言しても勉強しなかった。
相手との関係や、自分の状態でも変わる。
だから、
「人に報告すれば続く」
ではない。
まずは小さく試してみる。
一人のときと比べて、少しでも動きやすくなったかを見る。
それで合うなら使えばいい。
合わなければ、別の条件を探せばいい。
もし「人に見てもらったほうが、自分は動きやすいかもしれない」と感じたのに、一人で試してもまた止まってしまったら。
そのときは、
「自分がダメなのではなく、もう少し別の条件が必要なのかもしれない」
と考えてみてもいいと思う。
僕自身、一人では何度も止まった。
それでも、自分に合う条件を少しずつ見つけていくことで、前より動けるようになった。
「一人だと続かないけど、自分に合う条件がまだ分からない」
そんな状態なら、まず自分がどこで止まっているのか整理してみるのもいい。
自分がどこで止まっているのか整理したり、それでも一人では難しそうなら相談もできるページを作ったので、きつくなったら使ってみてほしい。
【次に読む】
「そもそも、自分は何が原因で止まっているんだろう?」
ネット上にある「やる気が出ない・動けない」という悩みを集めて、いくつかのパターンに分けてみた記事も参考になる。

